白内障手術後に注意すること

運転免許の更新通知というやつは、忘れた頃にやってきては、静かにこちらの「老い」を突きつけてくる。あと半年。青いハガキを眺めながら、私はぼんやりと自分の行く末を案じていた。最近、どうも景色が霞んで見える。夜の対向車のライトが、必要以上に眩しく、滲むのだ。このままでは視力検査で撥ねられる。そんな予感は、確信に近いものとして胸の内にあった。私はいつものように、M商店街のアーケードに店を構える「中名眼科」の暖簾をくぐった。緑内障の持病で、もう長いこと中名先生にはお世話になっている。「先生、免許の更新が半年後なんです。この目じゃ、ちょっと厳しい気がして」 診察室の椅子に深く腰掛け、私は心中を吐露した。中名先生は、使い込まれた細隙灯顕微鏡から顔を上げ、少しだけ困ったような、それでいて身内をいたわるような、絶妙な距離感の苦笑いを浮かべた。「……うちじゃあ、これ以上の処置はできないんですよ」 その言葉は、冷たい突き放しではなく、むしろ長年の付き合いゆえの「限界」の共有だった。古びた商店街の小さな医院。そこには信頼があるが、最新の設備はない。先生は手際よく紹介状をしたためると、「駅前の富松眼科クリニックへ行きなさい」と私に手渡した。それは、慣れ親しんだ古い街角から、現代的な、少し無機質な場所へと押し出されるような、寂しさを伴う転院だった。紹介された富松眼科は、駅前のビルの中、眩いほどのLED照明に包まれていた。そこで下された診断は、白内障。手術が決まった。八月二十二日、左目。二十九日、右目。手術台の上で、私はただ流れる水と光のダンスを見つめていた。痛みはない。ただ、医師や看護師たちのテキパキとしたやり取りが、まるで高度に統制された舞台演劇のように耳に届く。中名先生のところにあった、あの、どこかゆったりとした時間はここにはなかった。術後、私の手元には三種類の点眼薬が残された。「これを一ヶ月間、一日四回、欠かさず差してください」 若くて清潔感のある看護師にそう告げられ、私は妙に神妙な心持ちで頷いた。三つのボトルは、私の新しい「日課」になった。一滴差すごとに、ぼやけていた世界が、一枚ずつ薄皮を剥ぐようにして鮮明になっていく。一ヶ月という期限。それは、私の目が「機械の補助を受けた新しい体」に馴染むための、儀式のような時間だった。ふと気づけば、九月の風はもう涼しい。鏡を見ると、自分の顔のシワまでが残酷なほどはっきりと見えるようになった。それと同時に、M商店街の錆びたシャッターや、中名先生の白衣の端にあった綻びまで、これまでは「優しさ」という霞に隠されていたものが、輪郭を持って迫ってくる。世界が明るくなることは、必ずしも心地よいことばかりではない。それでも、私はこの新しい視界で、次の免許更新へ向かうのだろう。三種類の点眼薬がなくなる頃には、駅前のクリニックの機能的な冷たさにも、きっと慣れているはずだ。

八月三十一日の駅前は、行く夏を惜しむような、粘りつくような熱気に包まれていた。富松眼科クリニックの自動ドアを抜けると、そこには外の喧騒を撥ねつけるような、均質な冷気と静寂がある。最新の設備に囲まれた診察室で、富松先生はカルテの数字を淡々と確認し、私に告げた。「九月からの経過観察は、中名先生のところに戻って受けてください」 その言葉は、まるで大きなミッションを終えた指揮官が、兵士を元の駐屯地へ帰還させるような響きを持っていた。手術という「非日常」の舞台はここで幕を閉じ、私は再び、あのM商店街の緩やかな日常へと「払い下げ」られるのだ。「点眼薬をいつまで続けるか、それから、例の緑内障の薬をいつ再開するか。そのあたりもすべて、中名先生の判断を仰いでくださいね」 富松先生はそう言って、私にバトンを託すように一礼した。高度な技術を誇る専門医から、街の「かかりつけ医」への、鮮やかなリレー。そこには、プロフェッショナル同士の、言葉にせずとも通じ合う信頼のようなものが介在している気がした。私は手元の三種類の点眼薬を見つめた。これまでは「術後のケア」という明確な目的があった。しかしこれからは、私の目の健康という、もっと長い、終わりのない物語を再び中名先生と紡いでいくことになる。 緑内障という、静かに忍び寄る影とどう向き合うか。手術後の鮮明な視界をどう守っていくか。その舵取りを、またあの中名先生に預けるのだと思うと、不思議な安堵感が胸に広がった。 駅前の無機質なビルを出て、私はM商店街へと足を向けた。あそこには、最新のレーザー装置はないけれど、私の目の「歴史」を知っている一人の医師がいる。 九月になれば、商店街の風も少しは変わるだろうか。三種類の点眼薬と、そしていずれ再開されるであろう緑内障の薬。それらを携えて、私はまた、あの少し古びた診察室の椅子に座る。 「先生、ただいま戻りました」 心の中でそう呟きながら、私はアスファルトに落ちる自分の影を見つめた。術後の鋭くなった視界で見るM商店街は、これまでよりも少しだけ、活き活きとして見えるような気がした。

九月三日。M商店街のアーケードに差し込む光は、先週までの刺すような鋭さを失い、どこか柔らかな飴色を帯びていた。 私は、勝手知ったる「中名眼科」の重い扉を引いた。駅前のクリニックの、あの研ぎ澄まされた静寂とは違う、どこか生活の匂いが混じった診察待ちのざわめき。それが今の私には、ひどく心地よかった。 「お帰りなさい。……うん、綺麗になってますね」 診察室の椅子に座るなり、中名先生はモニターに映し出された私の眼球の画像を見つめて、小さく頷いた。その声には、自分が送り出した患者が無事に「修繕」を終えて戻ってきたことへの、安堵と自負が混じっているように聞こえた。 「視力も、順調。これなら、あのハガキの心配もいらないでしょう」 先生は、私が以前こぼした免許更新への不安を、ちゃんと覚えていてくれたらしい。 視力検査の結果は、自分でも驚くほど良かった。術前の、あの常に薄い霧の中にいたような感覚が嘘のように、検査表の「C」の向きが、今の私には残酷なほど明確に判別できる。 話は、今後の「日常」へと移る。 「さて、お薬ですが。富松先生のところから出ている三種類の点眼薬。まずはこれを、きっちり使い切ることを優先しましょう」 先生は、机の上に置かれた私の薬袋に目をやった。 手術という劇的なイベントを終えた私の目には、まだ「治癒」という名の繊細な仕事が残っている。 「緑内障の点眼薬を再開するのは、それから。術後の薬が終わってから、ゆっくり戻していきましょう。焦る必要はありませんよ」 その一言に、私は深く息を吐いた。 白内障の手術で視界は明るくなったけれど、私の目には「緑内障」という、一生付き合っていかなければならない古い友人が居座り続けている。中名先生の言葉は、その現実を突きつけるものではなく、「これからも二人三脚でやっていこう」という、静かな契約の更新のように響いた。 劇的な手術を担当した「駅前の名医」の手を離れ、私はまた、この商店街の小さな診察室の日常へと還ってきたのだ。 診察を終え、会計を待つ間、私は待合室の隅にある古い雑誌の背表紙を眺めた。 以前はぼやけて読めなかった文字が、今は指先でなぞるようにくっきりと見える。 三種類の点眼薬がなくなる頃、この街はもっと秋の色を深めているだろう。 その時、また私はこの椅子に座り、先生と「次」の話をするはずだ。 新しく手に入れた鮮明な視界で、私は、この長く続いていく日常の輪郭を、ゆっくりと確かめるようにして歩き出した。

九月二十四日、左目の三種類の点眼薬が、最後の一滴を使い果たして空になった。一週間遅れて十月一日、右目のボトルも役目を終えた。手術という「非日常」を潜り抜けてきた私にとって、それは一つの区切り、あるいは輝かしい「完治」へのゴールテープであるはずだった。しかし、そのテープを切り、次の一歩を踏み出そうとする私の前に、中名先生は静かに立ちはだかっていた。「……まだ、ですね」 診察室の椅子に座り、私は期待を込めて「手術後の点眼薬はもう終わりですか?」「緑内障の薬はいつ再開しましょうか?」と尋ねたのだが、返ってきたのは、拍子抜けするほど短いその一言だけだった。中名先生は、私の眼底を覗き込み、何かを確かめるように小さく頷くだけで、視力検査の指示も出さない。九月三日に一度測ったきり、あの「C」の文字が並んだ検査表の前に立つことはなかった。駅前の富松眼科で見舞われた、あの高精度なデジタル世界での、秒単位で進むような診察。それに比べると、このM商店街の小さな診察室に流れる時間は、あまりに緩慢で、どこか停滞しているようにさえ感じられた。(……もしかして、先生は面白くないのだろうか) ふと、嫌な考えが頭をよぎる。本来なら自分のところで完結させたかった治療を、設備の都合で駅前の「新顔」に譲らざるを得なかった。そのことへの、医師としての、あるいはこの街の古株としての、小さなしこり。「手術をしたのはあっちなんだから、その後の面倒もあっちで診てもらえばいいじゃないか」 先生がそんなことを言う人ではないと信じたい自分と、視力の回復にまるで関心を示さない先生の横顔に不安を募らせる自分が、胸の中でせめぎ合っていた。かつては「温かな信頼」だと思っていたあの無口な診察が、今は冷たい「無関心」の影を帯びているように見えてしまう。明るくなったはずの視界。免許更新という目標も、今ははっきりとその形を捉えているはずなのに。診察室を出て、秋の深まりつつあるM商店街を歩きながら、私は右手のポケットにある空になった薬のボトルを、手持ち無沙汰に弄んでいた。 先生の「まだ」の裏側に、果たしてどのような真意が隠されているのか。それを問うこともできないまま、私はただ、一滴の点眼薬も必要なくなった自分の目を、少しだけ不安な思いで見開いていた。

十月二日、秋晴れの空とは裏腹に、私の心には冷たい影が落ちていた。 高齢者講習の会場。慣れないパイプ椅子に座り、視力検査機の覗き窓を凝視する。しかし、そこにあるはずの「光の輪」は、期待していたほど鮮明には浮かび上がってこなかった。 「……残念ですが、基準を下回っていますね」 検査員の無機質な声が、鼓膜を震わせる。私は慌てて、八月に両目の白内障手術を終えたばかりであることを告げた。世界は確かに明るくなったはずなのだ、と。 「そうですか。手術直後だと、まだ回復途中ということもあるかもしれませんね」 その言葉は、気休めとしてはあまりに頼りなかった。回復途中。では、いつになれば「完了」するのか。半年後に迫った免許更新の期限が、頭の中で秒読みを始めたような気がした。 不安に背中を押されるようにして、十月八日、私は再びM商店街の「中名眼科」を訪れた。 「先生、検査をお願いします。講習で、通らなかったんです」 診察室でそう切り出すと、中名先生はいつものように少しだけ眉を寄せた。促されるままに検査表の前に立つ。しかし、結果は非情だった。私の視力は、運転免許を維持するために必要なラインに、あとわずかで届かなかった。 「……先生、どうしてですか。手術は成功したんじゃなかったんですか」 詰め寄るような私の問いに対し、先生はただ、困惑したように首を傾げるばかりだった。その沈黙が、私の不安を「不信」へと変えていく。 駅前の富松眼科で、私は確かに新しい光を手に入れたはずだった。それなのに、いざ実用的な「数字」を求められると、私の目は沈黙する。手術そのものが無意味だったのではないか。そんな毒のような疑念が、胸の奥でじわりと広がった。 「緑内障の薬は、どうしましょうか。今日からでも再開すべきじゃないですか?」 すがるような思いで尋ねたが、先生の答えは、あの日と同じだった。 「……まだ、です」 短い、あまりにも短い拒絶。 かつては「慎重さ」の証だと思っていたその一言が、今は、答えを持たない医師の逃げ口上のようにも聞こえてしまう。 診察室を出ると、商店街は買い物客で賑わっていた。 はっきりと見えるようになったはずの街並みが、今はどこか、自分とは無関係な「他人の景色」のように遠く感じられた。 私の目は、本当に治っているのだろうか。 それとも、あの明るい光はただの幻で、私はこのまま、暗い闇の中へと免許証を返納しに行くことになるのだろうか。 先生の後ろ姿に感じていたあの「信頼」の輪郭が、秋の夕暮れに溶けて、少しずつ、けれど確実にぼやけていくのを感じていた。

十月十五日。診察室の空気は、心なしか以前よりも重く、湿り気を帯びているように感じられた。「先生、緑内障の点眼、もう再開してもいい頃ではないでしょうか」 私は、努めて冷静な声を出し、中名先生の横顔に問いかけた。しかし、返ってきたのは、あの聞き飽きた、拒絶のような一言だった。「……いや、まだです」 その瞬間、私の中で何かが、プツリと音を立てて切れた。左目の術後点眼は九月二十四日に、右目も十月一日にはすべて使い切っている。その事実は、患者である私の体と生活に、はっきりと刻まれている。「先生、術後の目薬はもう、どちらも終わっています。左は三週間近く、右も二週間前には」 私がそう伝えた刹那、先生の動きが止まった。「ぽかん」とした、という表現がこれほど似合う表情を、私はこの老医師の顔に見たことがなかった。数秒の空白。それは、私たちが長年築き上げてきた「信頼」という名の砂の城が、波にさらわれていくような時間だった。「……あ、ああ、そうか。それなら、今日から再開しましょう。急いで出し直します」 慌てたようにカルテを叩く先生の指先を、私は冷めた目で見つめていた。緑内障という、進行を食い止めることしかできない病。その命綱とも言える点眼を、二週間も放置していたことになる。大丈夫ですよ、という言葉もないままに、再開の指示だけが機械的に下された。その後、二十二日、二十九日と通院は続いた。けれど、期待していた視力検査が行われることはなかった。「異常なし。順調ですね」 顕微鏡越しに私の目を覗き込み、先生は短くそう告げる。けれど、私の実感は、その言葉と真っ向から対立していた。(本当に、順調なのだろうか) 歩き慣れたM商店街の看板が、昨日の自分よりも、少しだけ遠く、不鮮明に感じられる。白内障の手術を受ければ、すべてが解決する。そう信じて、駅前のあの最新のビルへ、私は背中を押されるように向かったはずだった。けれど、手術前のあの「不安な霞」が、別の形をして、じわじわと私の視界を侵食し始めている。中名先生の「異常なし」という診断が、ただの免責事項のように聞こえてしまう。もしも、あの手術に意味がなかったのだとしたら もしも、このまま視界が衰え、あの青いハガキを、ただの紙屑として眺める日が来てしまったら。 十一月の足音が聞こえる。はっきりと見えるようになったはずの術後の視界に、今は「不信」という名の、何よりも濃い霧が立ち込めていた。

十一月十三日。M商店街の緩やかな時間から切り離され、私はK中央病院の白く、無機質な廊下に立っていた。精密検査の結果、突きつけられたのは「網膜の腫れ」という言葉だった。原因は明白だった。白内障手術後の点眼を早々に打ち切り、あろうことか、その後の緑内障点眼の再開まで空白期間を作ってしまったこと。あの時、診察室で「ぽかん」とした中名先生の、あの空白の数秒間。それが今、私の網膜を物理的に腫れ上がらせるという形になって返ってきたのだ。「サンベタゾン」と「ブロムフェナク」。新しく処方された二種類の目薬のボトルは、中名先生の出していたものよりも、どこか厳つく、事態の深刻さを物語っているように見えた。「これで効果が出なければ、網膜に直接注射をします」医師の淡々とした宣告に、背筋に冷たいものが走った。目の中に、針を刺す。その想像だけで、視界が歪むような恐怖に襲われた。十一月二十九日。腫れは、引いてはいた。けれど、期待したほどではなかった。右目への注射が決まった。手術台の上で、私は自分の運命を呪った。視界の端に、細く鋭い注射器がゆっくりと降りてくるのが見える。逃げ場のない眼球という小宇宙に、異物が侵入してくる恐怖。身をすくませ、歯を食いしばる。けれど、実際に刺さった瞬間の痛みは、拍子抜けするほど小さかった。肉体的な痛みよりも、自分の「目」という、最も繊細な感覚器官を他者に委ねるという絶望感のほうが、よほど私を削っていった。 十二月十三日。ようやく左目の腫れが引き、注射の危機は去った。一月三十一日まで、この点眼生活を続ける。新しいゴールが決まったことに安堵しながら、私は会計を待つためにロビーの長椅子に腰を下ろした。 隣に座っていた中年の男性が、連れの女性にぼそりと漏らした言葉が、私の耳を打った。 「……なんか、これから網膜に注射しなきゃならんらしいわ」その瞬間の、心臓が跳ね上がるような感覚を今も覚えている。網膜の腫れ。注射。思わず隣の男性の横顔を盗み見た。彼もまた、あのM商店街のアーケードを通り、あの古びた「中名眼科」の門を叩いた一人ではないのか。先生の「まだ」という一言に、私と同じように翻弄された被害者ではないのか。 「異常なし」中名先生が繰り返したあの言葉が、砂のように崩れていく。 私の視力は、本当に元に戻るのだろうか。新しく手に入れたはずの光を、私は再び手放してしまうのではないか。 病院を出ると、冬の低い陽射しがアスファルトを白く照らしていた。かつての信頼は、もうどこにもない。私はただ、手元に残された新しい点眼薬のボトルを握りしめ、自分と同じように影を背負った誰かがこの街に他にもいるのではないかという、拭いきれない予感を胸に歩き出した。

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